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奥出雲で最も古い岩石とは?[奥出雲のジオ 入門編 2]


 博物館で化石が展示してあるのを見た利用者さんからの質問で最も多いのは「このあたりから化石が出たんですか?」というもの。そうなんですよね。自然博物館でたくさん化石が展示されていたらそう思われるのも不思議ではないよね。でも、残念ながら奥出雲町ではほとんど化石は出なくて、某メガネ会社(お城の建物)の創業者がこの博物館のある集落佐白(さじろ)の出身で、そのあたりから・・・・というお話になります。
 一般的には「化石=恐竜」と思われがちなのですが、残念ながら奥出雲町で見つかる化石は、鳥類以外の恐竜が滅び去ってからかなりの時間が経ってからの時代の化石なので、恐竜の「き」の字も出てきません。このあたりの話は別の機会に譲るとして、今回は奥出雲町のジオでわかる最も古い奥出雲の石のお話を書きたいと思います。

 地層や化石の年代が何千何百万年前というのはどうしてわかるのですか?というお話がよくでできます。これを解明するには次の2つの方法があります。
 1.地層の重なりやその中に含まれる化石の種類、岩石の接触している順番から判断する
 2.岩石に含まれる「放射性同位体」などを調べる
 1を「相対年代」、2を「絶対年代」と言います。1では「この地層とあの地層は同じ時代のものだけど、そこの地層は異なる時代のもの」、あるいは「この地層はこの岩石より新しい」ということがわかりますし、地層に含まれる化石の種類がわかれば、この地層の堆積した時代は「中生代ジュラ紀前期プリンスバッキアン期」というような判断ができます。ここで使われる時代を決定する化石を「示準化石」と呼びます。
 2の放射性同位体ですが、これは自分から放射線を出して別の原子に変化するもので、一定期間で半分が別の原子に変化する「半減期」を用いて正確な数字を割り出すものです。
 この2つのデータを用いて、「この化石が出たのでこの地層は約1億9080万年前~1億8270万年前のものである」、ということを明確にかすることができるのです。

 そこで奥出雲町で1を調べていくと、南の広島県や鳥取県との県境あたりの岩石が最も古いということがわかりました。岩石の性質から見ると、広島県側に広く分布している中生代白亜紀後期の火山岩類と同じであることもわかり、結果として奥出雲で最も古い岩石は船通山(せんつうざん:1142m)からループ橋を通って猿政山(さるまさやま:1267.7m)に至る地域に分布する流紋岩質の火山岩や火砕岩類ということが明らかにされたというわけです。残念ながら新しい時代に貫入した花崗岩の熱の影響を受けているため絶対年代を測定することは今のところできていませんが、だいたい白亜紀後期、1億年前から6600万年前ころの火山活動に起因する岩石であると考えられます。

流紋岩に見られる流理構造 (猿政山呑谷)

 奥出雲町の最高峰である猿政山(さるまさやま)の西北西に延びる呑谷(のんだに)をさかのぼっていくと、足元の露岩に流理構造の発達した流紋岩溶岩を見ることができます。これは粘度の高い流紋岩か流れる時につくられる紋様です。中にはユニークな紋様のものもあり

流紋岩に見られる流理構造 (猿政山呑谷)

この写真の流理構造のように、どのような流動をすればこんな模様ができるのかわからない不思議なものもあります。
 流紋岩は火山活動としては極めて激しい爆発的噴火を伴うことが多く、白亜紀末の奥出雲は非常に活発な火山活動が起こっていた地域であったということがわかります。

 ということで、奥出雲の最も古い岩石は、中生代白亜紀の後半に起こった激しい火山活動でつくられた岩石であることがわかりました。火山活動が活発=生物が生きづらい、ということもあって恐竜の化石の発見はほぼ絶望的ですが、この火山活動が後のたたら製鉄の原材料である磁鉄鉱を供給することになるマグマの形成と上昇につながるわけですので、現在の奥出雲にとっては非常に重要な地質現象もしくは地質イベントであったと言えるでしょう。

 ちなみに広島県側にいくと奥出雲ほどのマグマの熱で変成作用を受けていない地層があり、そこは北部九州や丹波篠山で恐竜化石の見つかった地層と同じ時期の地層がわずかに露出しています(奥出雲よりやや古い)、案外そういった場所から恐竜の化石が発見されるのかもしれません。


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