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奥出雲を作る岩石 [奥出雲のジオ 入門編 1 ]

亀嵩梅木原の露頭

 奥出雲町は古くから風化した花崗岩類(花崗閃緑岩や閃緑岩、トーナル岩などからなる)より産出する砂鉄を用いた「たたら製鉄」が行われてきました。この花崗岩は約6000万年前に地下深部で活動していたマグマがゆっくりと冷えて固まったもので、出雲南部を中心に東は鳥取県西部から西は三瓶山の西部まで広がる巨大な岩体を作っています。といってもすべてが同じタイミングで地下から上昇してきたものでは無く、何度かに分かれて比較的短期間に上昇してきたもののようです。

 奥出雲の90%以上にはこの花崗岩類が露出していますが、中にはこの花崗岩類より古く、恐竜が生きていた頃に活動していた火山の噴出物からできた地層もありますし、最も近くにある火山である三瓶山からもたらされた大量の軽石火山灰もまた最も新しい時代の奥出雲のジオの一員でもあります。

 写真は亀嵩の梅木原という場所にある露頭ですが、最下部は6000万年前の花崗岩類が風化したもの(マサ土)、そしてその上にたまった河川レキ層、さらにそれを覆う11万年前の三瓶山の大噴火によりもたらされた軽石火山灰(木次降下軽石:SK)が水流により再堆積した層からなります。地層の様子がわかりやすいので、小学校の授業で頻繁に使用しています。この露頭の説明だけで奥出雲のジオの説明が半分くらい終わってしまうくらい重要な露頭でもあります。



三成の滝坂にあった風化花崗岩の露頭

 この写真を見ると山の中のまで風化が進んでいる様子がわかります。かつてはこのような場所の土砂を切り崩し、水流で重鉱物を集める比重選鉱によって磁鉄鉱を主成分とする砂鉄を集めていました。この方法を「かんな流し」と呼び、奥出雲では様々な場所で行われてきました。
 この「かんな流し」は砂鉄分を含む花崗岩類が人力で容易に崩すことができる程度に風化していることが大きな条件になります。奥出雲とその周辺ではこの条件が整っているので地形が変わるほどにかんな流しが行われたことになります。
 斜めの線は「節理」という岩盤の中に発達する割れ目で、マグマが冷えて花崗岩になる直前に大きな力を受けてつくられたもののようです。最後に冷えきれなかった温泉水(熱水)が侵入沈着して石英脈を作っている様子がわかります。
 割れ目の部分は弱いのでそこから染みこんだ地下水が花崗岩の風化を促進したと考えられています。

<つづく>


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